…その中心になってい
るのが誰…」
ふっと、ナガレが口をつぐんだ。
「ハクア様…誰か、来ます」
きっかり五秒後。
部屋の戸が開いた。
「私は、きみたちを見くびりすぎていたようだ」
清水雅人は、入ってくるなり、こう言った。
彼の後ろには、似た背格好だが、顔立ちは幾分落ち着いた男が。
清水一哉。
ユンは呟いた。
こいつらの顔は、忘れたくても忘れられない。
「…見くびりすぎたって、今頃気付いたのかよ」
苦々しく、吐き捨てる。
「…とくにユン、お前は最も、多くを知りすぎていた」
雅人が近づいて来る。
反射的に、後ずさった。
「お前を逃がさず、最後まで追うべきだったな」
「あの時はありがとよ。追わないでくれて」
強気に、強気に。
けれど、声が、手が、足が、震える。
いくらハクアが脅してきても、いくらナガレがいろいろな意味で襲
ってきても、ここまで恐れはしなかった。
怖い。
こいつは…南の長は、怖い。
わかっていた。
自分がこの人物を恐れていることを。
だから、ハクアやナガレになんと言われようと、彼らから離れ、一人でこの長の前に立つことは絶対にしないと…できないと、思ってい
た。
なぜここまで清水雅人を恐れるのか。
それは彼が唯一、ユンの弱みを知っているからだった。
弄ばれたくない、苦しみたくない。けれど誰にも、屈したくない。
それが、ユンの弱み。
「…おおかた、お前の予想通りだ、ユン」
雅人は親父臭い息と共に、こう吐き出した。
「…は??」
「お前の予想が正しいと言ったんだ」
「予想って」
「…情報操作、香璃に刺客を送った目的、光る拳銃の製造理由」
ザッと、ハクアが立ち上がった。
「なんでお前は、ユンの憶測の内容を知っている」
「お黙りください、長殿」
清水一哉が穏やかな声で言い、それとは裏腹に、いつの間にか手にした銃の口をセントラルの長に向ける。
「ハクア様」
ナガレが、主人を庇って立ちはだかった。
「ボディガード…ですか」
一哉の声音に揶揄の響きが帯びる。
…まずいな。
ユンは思った。
そろそろ、清水兄弟が動く。
そうなったらもう、いくらナガレという戦いの名手がいるとはいえ、相手のペースにもっていかれてしまう。
行動を起こすなら、今だ。
ユンはそっと、腰の拳銃に手を伸ばす。
「ボディガード…ですか」
清水一哉の声を聞いた瞬間、ハクアの心に怒りが宿った。
ナガレは大切な側近で、大切な…従兄弟だ。
ボディガードという一言で片付くほど、単純な関係ではない。
ナガレは、モノじゃない。
「ナガレは、モノじゃない」
無意識に、声に出していた。
「ナガレは、モノじゃないんだ」
視界の隅で、ユンが少しずつ動くのを感じる。
「ナガレはおれの、完璧な…大切な、側近であり、無二の家族だ」
「臭いですね」
一哉の唇が、醜く歪む。
「無二の家族、完璧な側近。…なるほど」
「傷つけるな…」
ナガレの横に進み出て、低く呟く。
脳裏をよぎるのは、両親が死んだ日の、辛い過去。
そして。
「もう、オレの大切な人を、オレから奪うな!!」
叫んだ。
刹那。
『パァン!!』
短く鋭い銃声が響き、気付いた時には、ハクアはナガレに抱きかかえられて床に伏せていた。
「ハクア様!!お怪我は!!」
パァン、パァン!!
幾度も鳴り続ける銃声に負けないよう、ナガレが声を張り上げている。
「大丈夫、怪我なんてしてない!!」
「…お前ら、さっさと行け!!」
顔を上げると、ユンと一哉が床でつかみ合いになっている。
そのすぐそばに、脇腹から血を流している雅人が倒れていた。
「おれがここを止めるから!!茘枝をつれて、TTOの中枢だか何だかを探せ!!早く!!」
部屋の外から、音がする。
出入り口に駆け寄って外を覗くと、妙なカードを首からぶら下げた大勢の人間が、長い廊下の先にある螺旋階段を駆け下りてくる。
「…きっと…TTOの死人達だよ、あれ」
あまりの多さに、ハクアは呆然とする。
「危ない!!」
いきなり、背後から押し倒された。
パァン!!
鋭い音と同時に、向いの壁に銃弾がめりこむ。
「ハクア様、ぼーっとしてたら流れ弾に当たりますよ!?行きましょう!!」
「でも、ユンは…」
「…おれはっ、いいから!!おれは、こいつらにっ、復讐したいだけだから!!今、その最中なの!!あんたらに邪魔されたらたまんない
だろっ!!」
ユンの拳が一哉の頬に当たって、鈍い音を立てる。
反撃しようと一哉が暴れ、二人は床を転げ回った。
「ハクア様!!」
ナガレに手を引かれ、部屋を出た。
創られた生きる死者たちの足音が、背後から迫ってくる。
「ナガレさんっ、どこに行くんですかっ!!」
恐怖に顔を引きつらせながら、ハクアの隣を走る茘枝が問う。
「おれにも分かんないよ、そんなの!!とにかく今は、逃げるんだ!!」
石造りの狭い廊下。
似たような色と形の扉がいくつも並んでいる。
それらを全て通り過ぎ、行き当たった階段を駆け下りた。
上の階にあったものよりもずっと大きな扉が、目の前にあった。
まるで、地下牢のような。
「押して!!」
重い扉を、三人で押し開ける。
少しだけ開いた隙間から、三人は滑り込んだ。
「閉めるぞ!!」
焦れったいほどゆっくりと、重たい扉が、閉まった。
ハクアは小さく溜め息をつき、振り返って辺りを見回す。
「…何ここ」
何も、なかった。
小さな虫の死骸や、埃の欠片さえ、ない。
真っ白な床と壁と天井、それから、今三人が入ってきた扉だけが、虚しく在るだけ。
「…困りましたね」
隣で、ナガレが言った。
「奴らはじきに追いついてきます。隠れる場所さえないなんて」
「迎え撃つしかない…ねぇ」
「…本当に…何もないんですか」
そう言ったのは、珍しく引き締まった顔をした、茘枝だった。
「だとしたら、変ですよ。どうしてこんな何もない空間だけのために、こんなに重くて頑丈な扉をつけたのか」
言われてみれば、その通りである。
「…目に見える物だけが全てじゃないんです」
茘枝は壁にそって部屋中を歩き出した。
「なに一人だけかっこつけてんのさぁ」
ハクアもナガレも、同じように部屋を調べる。
「…ハクア様、時間がありません」
ナガレの声は緊迫していた。
鋭い彼には、ハクアにも茘枝にも感じられない、追っ手の気配が伝わっているのだろう。
「ハクア様、扉が開きかけたらすぐに、私の後ろへ……茘枝!!」
急に名を呼ばれた茘枝は、驚いてひっと息を呑んだ。
「そこから動くな!!」
「どうしたの、ナガレ」
茘枝に駆け寄るナガレ。
ハクアはその背に声をかけた。
「…ハクア様もこちらへいらっしゃってください」
促されるまま、二人に近づく。
「…遠くから見ると、光の加減によって、この辺りが黄色っぽく見えたんです。何度も触られて、手垢で黄ばんだみたいに」
茘枝を押しのけ、ナガレはしきりに壁を探る。
「もしかすると、隠し扉か何かがあるのかと……」
長いナガレの指が壁を這い、ふっと、ある一点で止まる。
上から下へ、一直線になぞられ…
「…ここに、まっすぐな細い亀裂があります。…茘枝、一緒に押して」
二人で、肩を押し付けるように、壁を押す。
『ずず……』
ざらざらとした岩を木がこするような音を立て、壁の一部が引っ込んだ。
「ビンゴだねっ、ナガレ!!」
ナガレの肩越しに、中を覗く。
「また戸??」
灰色の無機質な金属扉。
ナガレが進み出て、ドアノブに手をかけ…開け放つ。
『パンッパンッ』
鋭い破裂音が鳴り響き、ハクアは茘枝と共に、ナガレに抱きかかえられるように床に伏せた。
ナガレが腰に手をやり、取り出した拳銃を素早く構えて反撃する。
『パンッパンッ』
相手からの銃声が止み、代わりに静かな声が響いた。
「よく、ここを探り当てましたね」
「清水一哉…!!」
ハクアは呻いた。
ナガレが庇うように伸ばした手を制し、立ち上がって部屋へ踏み込む。
広い、機械ばかりのある部屋だった。
所々に寝かせた筒状の水槽のようなものがあって、中にはホルマリン漬けにされた、人体の各所が泳いでいる。
そんな不気味な部屋の中央に清水一哉が立ち、顔が傷だらけのユンの後頭部に、銃口をつきつけていた。
兄の雅人はというと、負傷した脇腹を手で押さえ、しかしなぜか、顔に微笑をたたえて壁に寄りかかっている。
彼はふいに進み出てくると、ユンの横に立って口角を上げた。
「これが、最後の戦いだ」
「…決着をつける気なんだね、おじさん」
ハクアは挑戦的に、冷笑を返す。
「そんな簡単に、僕らを潰せると思ってるのカナ??」
「思い上がるな、若輩」
「思い上がりじゃないよ。あんまりナメない方がいい、南の長さん。ナガレの完璧な戦闘能力は、噂に聞いてるんじゃないの」
「完璧な、ね」
ユンが何か言いたそうに口を開くが、気配を察した一哉にすかさず殴られる。
「では、セントラルの長よ。その完璧さには、何も感じないのですかね」
「やめろ!!」
立ち直ったユンが、叫んだ。
「それ以上言うな!!」
「…ユン??」
ハクアは目を細めた。
ユン・リン。
お前は一体、何を知っている。
かつて南地区で重責を果たしてきたその目には、この状況がどう映っているんだ??
お前は、全てを知っ…
「取引です」
まとわりつくような甘い声音で、思考が遮られた。
清水一哉の妙に品のある笑顔に、焦点を合わせる。
「セントラルの長殿。わたしたち兄弟は、今日をもって、この茶番から手を引きましょう。あなたの命を狙うことも、あなたの生活の中に
ある平穏を乱すよう
なこともしないと誓います」
茶番、か。
命を狙われ、ナガレにも危険な思いをさせてきたこの数日間は、単なる底の知れた遊戯だった、そういうことか。
確かに煩わしい日々だった。
でももうそんな生活は終わりにしましょう。
その申し入れは、大歓迎だ。
「ただし」
一哉の話は終わってはいなかった。
「あなたのボディーガードを、一時間だけ…いえ、何分間か、貸して下さい」
これにはナガレも驚いたようだ。
微かに、身じろぎする気配がある。
「てめ……!!」
ユンが、何かを言おうとした。
けれど次の瞬間には、怪我をしているとは思えないほど強烈な雅人の膝蹴りを腹に受け、胃液を吐いて崩れ落ちる。
「ユン!!」
茘枝がナガレの陰から悲鳴を上げる。
「…なぜ、こいつが必要なんだ」
倒れたまま動かないユンのもとへ反射的に駆け寄りかけたナガレをおさえ、ハクアは問う。
「…サンプルですよ。優れた戦闘能力。確かに噂には聞いていますからね。人体開発をしているわたしにとって、もってこいのサンプルな
んですよ。…命にか
かわるようなことはしませんから、御心配なく。簡単な体力測定をしたいだけです」
「サンプル??冗談もほどほどに…」
「ハクア様」
ナガレがそっと、口を挟んだ。
「本当にあなたの命が助かるのなら、わたくしは行ってきます」
「ナガレ、なにバカなこと…!!」
「本気です。ハクア様、考えてみて下さい。もし彼が言う『命に関わるようなことはしない』というのが嘘だったとして、わたくしが彼の
ような冴えない技術
者に殺されると思いますか」
一瞬、ハクアの心に隙ができた。
狙われて、逃げて、探って、緊張して。
そういう生き方は疲れた。
もう、こりごりだったのだ。
冷静な状態だったら、考える余地もなく、こんな申し出は却下していただろう。
しかしこの世界では、普通とか冷静とか、そんなことはあり得ない。
だから、ナガレの自信に満ちた口調を聞いたとき、これは魅力的かもしれないと思ったことを、認めざるを得なかった。
「…まあ、ナガレなら、万が一のことがあっても負けることはないと思うけど…」
「言ったでしょう、ハクア様」
「え??」
「わたくしは、あなたを残して死んだりしません。約束、したでしょう」
わたくしが約束を破ったことがありますか、と。
ハクア、お前のことを守ってやるから、絶対に約束を破らないから、前の平和な生活に戻ろう。
早く、家に帰ろう。
偽りのないナガレの真剣な表情が、そう訴えていた。
「…五分だ」
ハクアは小さく、小さく、呟くように言った。
「五分だけ、ナガレを貸す。清水一哉、文句はないな」
一哉は一瞬兄の方を見て微かに頷き合い、「ええ、わかりました」と答えた。
「…それから…ナガレ」
「はい」
「命令だ。危険を微塵でも感じたら、躊躇せずに反撃しろ。それから、五分経っても解放してもらえなかったら、こいつらを殺めてもいい
から、出てこい」
従兄弟同士で主従関係を結んできた今までの中で、最も厳しい声音での命令だった。
横にした長い人差し指を唇に押しあて、ナガレはゆっくりと頭を下げる。
「かしこまりました、ハクア様」
〔あなたに、変わらぬ忠誠を〕