第肆

Chapter




「……へぇ、たいしたもんだね」

ナガレはユンが次々とコンピューターのロックを解除してゆくのを
見て、感嘆の声を漏らした。

このためだけにハクアの部屋に運ばれたコンピューターの前で、ユンは目を鋭く光らせる。

「向こうの情報が見れればいいんだろう」

「まあな」

「……できたぞ」

「もう!?」

退屈そうに眺めていたハクアと共に、ナガレは画面を覗き込む。

「…すごいな……」

膨大な量のデータが、表になっている。この中からあの狂った刺客を見つけ出さなければいけないと考えると、卒倒しそうになる。

「…あんたたちは一体、こんなもので何をしたいんだ。腹の足しになるものでもないのに」

「んー??」

ハクアは素早くコンピューターをユンから奪い、「人探しだよん」と答えた。

「あ??」

それだけじゃ分かんないし、と、ユンは呆れたように溜め息をつく

「ハクア様、なにかあればお呼びください。ユン、おいでよ」

ナガレはそうユンを促して、退室した。



ズズ…と音を立てて、革張りのソファが沈む。

「お疲れさま。はい、どうぞ」

ナガレはソファに身を預けているユンの前に珈琲を置き、自分もその向かいに腰を下ろした。

「足の怪我は結構よくなったみたいだね」

「まあな。あと三日すれば、かなりまともになると思う」

ユンがセントラル側と手を組んでから七日。

足の傷を治すために安静にしていた彼は、やっと体調も優れてきたその日の朝、ハクアからそろそろ作業に入るように言い渡されていた。

それまで傷による発熱に弱っているユンを看病していたナガレは、何度も、本当にこいつは信用できるのだろうかと考えた。

けれど結論は一つ。

今は、彼に頼るしかない。

ふと視線を感じて顔を上げると、こちらをしげしげと眺めるユンと目が合った。

「…何??」

「やっぱりあんた……普通じゃないわ」

「は??何だよ、いきなり。ていうかせめて、ナガレって呼べよ」

「……あんた、普通じゃない」

ナガレの言うことを聞いていたのかいなかったのか、再度呟くように言う。

睨めつけるような視線で普通じゃないと言われ、気分が良いはずがない。腕を組み、「何が」とナガレは問う。

「…身のこなしとか。見てたら……」

「見てたら、何??」

しかしユンは、「いや、なんでもない」と肩を竦めた。ふいに、くん、と鼻を動かし、前に置かれた珈琲を一瞥する。

いかにも不審そうな視線に、ナガレも不愉快になった。

「変なものは入れてないけど」

しかしユンは違う、と首を振り、たった一言、催促した。

「……砂糖」

「…お前、なんか偉そうだな」

「南地区のコンピューターをこじ開けてやったのは誰だ??…おれだ。このおれを偉人と呼ばずして、誰を偉人と呼ぶ??」

「へぇ、過剰な自己評価だ」

「定評」

「ああ、そうかよ」

ナガレは折れてしぶしぶ立ち上がり、小さな角砂糖の入った小鉢を持ってくる。満足そうに目を細めるユンを見ると妙な敗北感に襲われ た。自分がとてつも
なくちっぽけな存在になった気になる。

犯罪者の尻に敷かれるなんて、まっぴらだ。

ドン、と荒々しく小鉢を置き、

「ほらよ。これで文句ないだろう。……その顔をやめろ」

「どの顔??」

「鏡も持ってきましょうか、ご主人様」

「いや、説明してくれればいい」

どこまでも生意気な奴だ。ナガレは深呼吸した。

「強盗を返り討ちにした、店の従業員みたいな顔」

「……どんなだよ。やっぱり鏡が欲しいかな。あんた見た目はつくられたみたいに男前なのに、中身の方は稚拙なのな。もっとまともなも のに例えられないわ
け」

「今の比喩が気に入らなかったのか」

「これ以上ないくらい」

「露骨に満足そうな顔をするなって言いたかっただけだ。ライオンを絶滅させたシマウマみたいな顔って言った方が良かったか??」

すると、ユンに呆れ声を出された。

「なあ、長の秘書さん、あんたもう、喋んない方がいいぞ。それ以上内面の幼さが露呈する前にやめとけ。悪いこと言わねえから」

完全敗北。

撃沈したナガレを気にすることなく珈琲にポトポトと角砂糖を入れ、再びユンが口を開いたのは、上品に何度か口をつけたカップの中身 が、半分ほど減った
ころだった。

「それで、あんたらがあんな情報を使って何をしたいのか、おれに話すつもりはないのか」

「…なぜ話さなきゃならない??」

「言われた通り、南の内部を明かしてやっただろう。おれは、あんたらに貸しをつくった」

「違うよ」

ようやく調子を取り戻したナガレの表情に、嘲るような笑みが浮かぶ。

「おれたちがきみに貸しをつくり、きみはそれを返しただけだ」

「おれは借りなどつくった覚えはない」

「つくったんだよ。命を助けてやっただろ??」

「……そういうことかよ」

「そういうことだよ」

しばらく互いに視線をずらさず睨み合っていたが、やがてどちらからともなく吹き出した。

「今日はおあいこだな、秘書さん」

「そのようだね」

「次はおれが勝つ」

「まさか。本気で言ってる??」

「…どうだかね。あんたには負けそうな気はしないけど、勝てそうな気もしないな」

「おれは勝てる気しかしないよ」

「上等だ」

「……なんで二人は仲良くなっちゃってるのかナ??」

新たな声の主、ハクアが疲れたように入って来て、ナガレはスッと席を譲った。

「お疲れさまです、ハクア様。珈琲をお飲みになりますか」

「んー…いや、甘い紅茶が欲しいな」

「かしこまりました」

一礼し、ユンに出したものよりずっと高質のカップを棚から取り出す。

当然のように小さな菓子をつけて置かれるハクアのティーカップを見て、ユンは少々恨めしそうに目を細めた。

「……ねェ、ナガレ」

給仕の手を一度止め、「はい」と返事をするナガレに、「給仕は続けて」と合図をすると、ハクアは滅多に口にしない煙草を内ポケットか ら出し、くわえ
た。 

珍しいことにも狼狽することなく、ナガレも自分のポケットからライターを出して点火する。

その火に顔を近づけ、口の白いスティックの先に紅の炎を踊らせるハクアの動作もまた、慣れたことのようだ。

「…やっぱり変なんだよねェ……」

ふぅ…と長く煙を吐き、ナガレが差し出した灰皿の上でトントンと煙草を叩くと、ハクアは乾いた下唇をなめた。

「ちょっと…変なこと、聞いていい??」

「なんでしょう」

使い終わった盆を縦に両手で持ち直し、ナガレは姿勢を正す。

「ナガレ、中央タワーへ行った帰りに途中で車から降りて、あの変な男を連れて来たよネ??」

「はい」

「連れて来たときは生きてて、おれっちが命令して殺した」

「はい、そうです」

「…本当に??」

「ハクア様、わたくしが勤務時間内で、あなたに嘘をつけるとお思いですか??」

「…だよねェ……」

再度煙草の火がちらちら踊り、ハクアは白い煙を吐く。

そして、出し抜けに呟いた。

「…死んでた」

「はい??」

「あの変な男ね、半年前に死んでたんだ」

ナガレの鼓動が、バクンッと跳ねた。

「まさか……」

「MTA60721、小野田憲一。…今回も、顔写真は、なかった

「では、どうしてそれがあの刺客だと分かったのです??」

「指紋だよ」

ああ、とナガレは納得する。死体を処理する直前、念のためにと、男の指紋を採取したのだった。

それが今になって役立ったらしい。

「小野田憲一…小野田憲一…」

ハクアは目を閉じ、唸るようにその名を繰り返す。

「…しかもね、ナガレ」

「はい」

「略歴を見て計算したら……」

「……」

あえて無言で先を促すナガレ。

「…小野田憲一って、一歳八ヶ月の、赤ん坊だったんだよ」

「……っ!!」

絶句だった。

百歩譲ったって、あの刺客は赤ん坊に見えない。だとしたら…だとしたら、死んだはずの赤ん坊が生き返り、たった半年であんな汚らしい 大人にまで成長したということになるのではないか。

「そ…っんな…あり得ません…ッ」

喘ぐように、ナガレは言う。

「そう、あり得ない」

ハクアの瞳が、暗く光った。

「あり得ないことが、実際に起ってるんだよ」


「…あのさぁ」

黙って二人のやりとりを聞いていたユンは、耐えられなくなって声
を上げた。

「おれの役目は、もう終わりなのか」

南地区情報管理課の者になりすまして相手のコンピューターに侵入するなんて、南地区の長のすぐ近くで働いていたユンにとって、容易い ものだった。

つまらない。

もっと激しく、あいつに復讐してやりたい。

ユンはどこか身体の奥底で、憎悪と憤怒が燃え盛っているのを感じていた。

この手を、なんのためらいもなく殺人という血に浸そうとした、あの男に対して。

そして同時に、ハクアとナガレが自分を信用していないのも、分かっていた。

けれど、ここで彼らと縁を切るわけにはいかない。

自分の力だけでは、あの強大な力を持つかつての主に逆らうことは、できないのだ。

ユンはぎゅっと、下唇を噛んだ。



目の前の男は、どこまで信じられるだろう。

ハクアは、自分の命にも関わるかもしれない謎の解明をすることと、ユン・リンが自分たちを裏切るかもしれないリスクを秤にかけた

ナガレの、どうするのですか、と問うような視線を感じる。

ユンは目を細め、唇を噛み締めていた。

本当に仕返しをしたいんだな、このコは。

人殺しをさせようとした相手を殺すのも人殺しだということを、理解しての行動なのか??

けれどそこまで指摘するつもりはなかった。

それは彼が自分で気付き、判断することだ。

「…ねェ、ユン」

「…あ??」

「CCUって何の略だろうって、思ったことない??」

あまりに唐突すぎる質問だったのだろう。ユンは一瞬唖然としたように目を見開いて、しばし黙り込んだ。

「…言われてみれば…なにかの略なのか??」

「いや、それがさ、ちょっと違うんだよね」

ナガレはこれから話がどういうふうに展開していくのか、察しているはずだ。

それでも決して口を挟もうとしない。

ユンのことを信用することに決めたからなのか、主人であるハクアがすることに口を挟むのは無礼だからか。

きっと、後者だろう。

「じゃぁ、ユンはおれっちが何者なのかも、知らないわけだぁ」

「セントラルの長ってことは知ってるけど。…まさか、実は偽の長なんだとか、そういうオチ??」

「いやぁ、違うよぉ。おれっちの父さんのじいちゃんの父さんが、この地下世界の創造者なの」

「……へぇ」

そう、初めて聞いた者の反応は、いつもこうだ。

まず、こんなふざけたやつがそんな偉人の子孫なのかと疑われる。

「おれっちの父さんのじいちゃんの父さんはね…」

「曾々おじいさまですよ、ハクア様」

せめて話の進行を早めようと、ナガレがそっと突っ込む。

「そう、その人。曾々じいちゃんの時代はまだ、人間は地上に暮らしてたのね。大気汚染とかが進んで、曾々じいちゃんはかなり危機感を 持ってたみたい。そ
れで最初は、自分たちの家族だけでも生き残るようにって、地下に手を出し始めたらしいよぉ」

「…それが発展して、この地下世界になったのか…」

「ま、発展して、なんて一言で終われるほどの規模じゃなかっただろうけどねェ」

「で??それとCCUと、なんの関係があるんだ」

ハクアは焦れるユンを、まあまあ、と宥める。

「おれっちのじいちゃんの時代に、やっと今の地下世界の基礎ができあがったんだァ。そのときに、CCUも完成したんだよォ。それぞれ の地区を結ぶ通路で
しょ、あそこは。なんか名称がないと、それぞれの地区を結ぶ通路、ってわざわざ言うのも面倒だよね。それで、おれのじいちゃんはァ、 三人の愛人の名前か
ら、最初のアルファベットをとって通路の名前にすることにしたんだよォ。ちなみにその三人の名前っていうのは、千尋ちゃん、知歩ちゃ ん、歌子ちゃん」

「……」

ユンの目は、明らかに呆れていた。

今の話を、信じていないのだろう。

話しているハクア自身も、嘘くさいと思うほどだから、信じられなくても仕方ない。

でも、真実なのだ。

「…あんたの曾々じいちゃんて…」

「ん??」

「……一夫多妻だったんだ」

「んー、そうだったのかな。いや、おれっちがユンに言いたかったのはそういうことじゃなくてね。そんな感じで、いくら安易でも、この 地下世界にあるもの
の名前には、ちゃんと由来があるわけね」

「ああ」

「唯一由来がないのは、IC番号の前につく、三つのアルファベット。QBJとか、MTAとか。あれはただ、意味もなくそれぞれの地区 の最初の長が決めた
だけだから」

「……何が言いたいんだ」

問うてくるユンの声音は警戒しているようだ。

ハクアはゆっくり息を吸い、身を乗り出した。

「TTOって、なにか由来があるのかな」

一見冷静さを保っていたユンの瞳が僅かに揺れたのを、ハクアは見逃さなかった。

「ねェ、なんか知ってるんでしょ。あっちの長さんのすぐそばで働いてたもんねー??」

「……」

「したいんでしょ、復讐」

重圧をかける。

ユンの喉元が、こくりと、動いた。

「…聞いたことはある。ただ、確かな情報じゃない。……時間を、くれないか」

「時間??なにをするつもりなのォ??」

珍しくはっきりしない喋り方をするユンを、追いつめる。

「……調べてみる。聞いたことが本当かどうか」

「どうやって??」

「………あいつを使って」

ユンが視線で示した部屋の入り口には、どうやって入ってきたのか、茘枝が立っていた。

「あの…聞くつもりはなかったですけど、聞こえちゃって…」

「…おれっちの曾々じいちゃんのこととかも??聞くつもりはなかったのに、そこに突っ立ってたんだ」

空気と共に、いきなりナガレが動いた。

スッと茘枝に歩み寄ると、その腕を強く掴んで部屋に引きずり込む

ハクアも立ち上がった。

こそこそされるのが、一番嫌いだ。

そんなハクアの怒りを感じ取ったのか、ナガレは跪いた。

「私の不注意です、ハクア様…申し訳ありません」

「謝られて済むくらいなら僕も苦労しないのにね」

ナガレを押し避け、茘枝の細い身体を突き倒す。

「寺本茘枝、君さ、この前に会ったときもそうだったけど、言い訳ばっかり。もう、うんざりだ。聞くつもりがなかったのに、聞こえるよ うな場所に物音も立
てず突っ立ってた、それって、言ってることとやってることが矛盾しすぎじゃん。ほんと、腹立つ。聞いたからには、責任とってもらう よ」

「責…任…」

「そう、責任。どうせ、怪我をして、しかも復讐をするために僕らと行動を共にしているユンのことが気になって、来てみたってとこだろ う。そんなに気にな
るなら、一緒にいればいい」

「え、おれは嫌だ」

ユンの希望は、ことごとく無視された。

「喚いても騒いでも、手伝ってもらうよ、寺本茘枝。ユンの復讐と、僕らの詮索を、さ」

「ですがハクア様、彼は信用でき…」

「ナガレ、口を挟むな。お前の意見は求めてない。こいつをユンと一緒の部屋に監禁しろ。ユン・リン、寺本はお前に任せる。こいつを 使って調べたいんだろ
う??好きにしろ。ただし、情報は外に漏らすな。お前の口からはもちろん、寺本の口からも。ほかに必要なものがあれば、ナガレに言 え」

「了解」

 ハクアの気迫に押され、先程まで不満を隠そうともしなかったユンはやけにきっぱりと返事をする。

それを聞き届けると、ハクアは床に倒れた茘枝を跨いで、部屋を出て行った。

「逆鱗に触れた…ってとこか、側近さん」

「ここまで怒られたのは、おれも初めてだ」

言いながら立ち上がり、ほとんど手をつけられていないハクアの紅茶を下げる。

珍しく露骨に怒りをぶつけられ、心が深く抉られた気分だ。

今までのハクアなら、茘枝が聞き耳を立てていたことに気づかなかったナガレを、ここまで責めなかっただろう。

逆に、心配されていたかもしれない。

何事に対しても冷静かつ万能なナガレがミスをすることなど、そうそうない。

具合でも悪いのっ!?と、大袈裟に気を使ってくれそうだ。

でも、そうならなかった。

 ナガレのミスが珍しいと気づかないほど、自分の身に危険を感じ、焦り、そして…怯えているのだ。 

口の中に、鉄臭さが広がった。

いつの間にか、強く唇を噛み締めていた。

珈琲カップを持つ手が震える。

「…おれと茘枝は逃げないよ」

ユンが立ち上がり、茘枝を無理矢理椅子に座らせて、その肩に手を置いた。

「信じる、信じないはあんたの勝手だけど。おれは逃げない。こいつも逃がさない。……行ってやれよ、長のところに」

まるで、ナガレをその場に留めていた糸が切れたようだった。

ガシャン、と乱暴にカップを置くと、廊下に飛び出す。

ハクアのいる場所は、分かっている。

幼い頃から、辛い時、苦しい時、ハクアはいつもそこにいた。泣くこともせず、ただ暗闇にうずくまって。

階段を駆け上がり、角を曲がり、一番奥の部屋の前で立ち止まる。

ゆっくりと息を吐き……戸を押し開けた。

…想像していた通りの姿だった。

長という重い看板を背負っているとは思えないほど、小さく見える背中。

明かりも点けずに、ただ、物置となっている部屋の隅に、ハクアは座り込んでいた。

知らぬ間に止めていた息をスッと吸い…

「ハクア様!!」

一喝すると、ハクアは驚いたように震えて振り返った。

「ナガレ…」

弱々しい声には耳を塞ぎ、ずかずかと歩み寄る。

「なぜわたくしのそばを離れるのですか!!そばにいてくださればお守りできるのに、ハクア様が離れてしまっては意味がないでしょう!!」

「…わかってる…ナガレが守ってくれようとしてるのは。でも…だから、そばにいれないよ」

意外な言葉に面食らい、思わずナガレは口を閉ざした。

「ナガレ、僕はね、ナガレにもっと、自分を大切にしてほしいんだよ。僕のために、そんな簡単に命を投げ出して欲しくないんだ。…死ん だら嫌だから…父さ
んと、母さんみたいに」

鼓動が跳ね上がる。

それはハクアだけではなく、ナガレにとっても、思い出したくない過去だった。

ハクアとナガレの両親は、十年以上前に殺されたのだ……


 二人は、九歳だった。

その日は天気管理局が日中に雨を降らせると発表し
、道行く人の姿が極端に少なかった。

「ねぇナガレ」

「なぁに??」

ナガレはやたらに絵が多い本のページをめくる手を止め、何をするでもなく椅子に腰掛けていたハクアに問い返す。

「つまんないよ、ナガレ。外で遊ぼ??」

「だけど……」

青空から降ってくる水滴が窓に叩きつける、激しい音。

「ほら、こんなに雨が降ってるし。ハクアの母さんもさっき、外には出るなって言ってたよ」

「だってつまんないんだもーん。ボクのパパとママと、ナガレのパパとママは、四人でずっとお話してるからいいよ。お茶飲みながらさ。 でもボクらは、する
ことないじゃない」

「うーん……」

困ったナガレは、とりあえず本を片手で持ち上げてみせる。

「ハクアも読んでみたら??案外おもしろいのとか、あるよ」

「えー、やだぁ。つまんなーい」

予想通りの答えが返ってきた。

ハクアはいつもこうだ。本を読んでみることもしないで、つまらないと決めつけている。

何度説得しても同じ結果なのだから、これ以上何を言っても無駄だろう。

ナガレは小さく溜め息をつき、パタンと本を閉じた。

「わかった、じゃあこうしよう。父さんたちは隣の部屋で世間話か仕事の話をしてるはずだ。これからそこに行って、外に出られるよう に、頼んでみる。もし
無理だったら素直に諦めて、家の中でできることをしよう」

「うんっ、わかった!!」



……結論から言うと、二人は外出を許された。

「ちゃんと傘を差せば問題ないだろう」

セントラルの長であるハクアの父が、最初に同意する。

「天気管理局の発表では、そろそろ止むようなことを言ってたわよ

真面目なナガレの母の情報は、大抵正しい。

「来年は十歳になるんだ。危険なところとそうでないところの区別はつくだろうしな」

ナガレの父も頷くと、最後まで渋い顔をしていたハクアの母も「本当に気をつけるなら」と、心配そうではあったが、首を縦に振った。

「大丈夫。僕がついてるから」

「お、ナガレは頼もしいなぁ。ハクアのこと、頼んだぞ」

ハクアの父の言葉に頷くナガレ。

まるで子犬のようにはしゃぎ回るハクア。



それが彼ら家族の、最後の会話となった。



「パパ、ママ!!」

小一時間後、雨の中の散歩から帰って来た二人の前に、悪夢が広がっていた。

倒れたテーブル。割れた花瓶と珈琲カップ。

折り重なるように横たわる四つの死体。

それぞれの首や胸から流れ出るものが、床や壁に、不気味な深紅の花を咲かせている。 

「パパ、ママ!!」

ハクアは泣き叫び、倒れていた両親にすがりついた。

「起きて!!起きてよ!!パパ、ママ……ッ!!」

ナガレは、呆然として動けなかった。

手にあった黄色い濡れた傘を取り落とす。

よりによって自分たちの両親が集団で自殺するわけがない。

自殺するなら、部屋を荒らす必要もない。

さらに戸棚から、食料の大半が消えていた。



彼らは、殺されたのだ。

飢えに苦しみ、耐えられなくなった者に。



現実を信じられていなかったからなのか、ナガレは驚きながらも冷静にだった。

ハクアの父が最も信頼していた数名の部下と連絡をとり、大人に判断を任せた。

そして両親が運び出されるときになって初めて、声を上げて泣き叫んだのだ。





………

「父さんと母さんが死んで、ナガレまでいなくなったら…もう、どうやって生きていけばいいのか、わかんないんだ…」

「…わたくしは、死にませんよ。ハクア様」

きっぱりと、ナガレは言い切った。

『ハクアのこと、頼んだぞ』

ハクアの父の最後の言葉が蘇る。

「わたくしは、死にません。ハクア様も、死なせません。信じてください」

微笑みながら、「さあ、立って」と手を差し出す。

何度か鼻をくんくん鳴らし、ハクアはキュッとナガレの手を掴んで立ち上がった。

「ナガレ、無理しちゃだめだからね…??」

「はい」

「おれっちより先に死んじゃだめだからね…??」

「はい」

「約束だよ??」

「はい」

迷うことなく返事をすると、ハクアの顔にようやく笑みが戻った。

「約束~!!指切りゲンマン、嘘ついたら針千五百六十二本飲~ます!!指切った!!」

ナガレの手が、勢い良く振り回される。

元気になったのはいいが、少々元気に戻りすぎたかもしれない。

「さてハクア様、そろそろユンが何か情報を得たかもしれないですよ。南地区のコンピューターにあんなにも容易く侵入したヤツですから ね」

「よっしゃあ、ユンのところにレッツゴーだぁ!!」

ナガレはハクアに手を引かれるがまま、暗い物置から走り出る。

…と。

「うおっと!!」

ハクアと正面衝突しかけた誰かが、声を上げる。

「あ、ユン!!ちょうど今、きみのところに行こうと思ってたんだよん。なんか分かったぁ??」

「…来てくれ」

ハクアの質問に直接答えることはせず、ユンはただ一言だけ促して背を向ける。

どうやらコンピューターのある部屋に戻るらしい。

ハクアとナガレは一瞬顔を見合わせ、先を行くユンを追った。



部屋には着いたものの、コンピューターはすでにシャットダウンされていた。

茘枝が所在な気に佇んでいる。

落ち着かなくしばらく部屋を徘徊したあと、ユンは腕を組んで立ち止まり、ついに口を開いた。

「TTOは……南地区だけで通じるIC番号だ。その文字がつく者は…人であって、人ではない」

「あのさぁ」

ハクアはドサッとソファに座る。

「おれっち、焦らされるの嫌いなんだよね」

「…ああ、そうかよ。言えばいんだろ。…人によってつくられた、死者のコピー…人工人間だ」

「……」

「……」

耳鳴りがするほどの沈黙。

それを破ったのは、ハクアの座るソファの後ろに寄り添うように立った、ナガレだった。

「死者??彼らが皆??」

「…おたくの言っている“彼ら”が誰らなのか知らないけど。TTOが生きる死者の集団だというのは、真実だ」

ようやく放心状態から立ち直ったらしいハクアが、まるで意味があることのようにじっと自分の爪を観察しながら問う。

「なんで奴らは死者をわざわざ生き返らせるような真似を??」

「知るかよ。こっちが聞きたいってのに。あんたらが知ってるんじゃないのか??」

「なんで僕らが??」

「TTOがなんなのか尋ねたのはそっちだろう」

「それは、TTOがどういうものなのかを知らなかったからだよ」

「…意味わかんねえ…」

「それじゃあ、バカなユンくんにも分かるように、状況の整理をしてみよう。…ナガレ、頼んだよ」

ハクアが面倒なことを嫌うというのは、全ての生き物が了承済みの事実だ。

いきなり話を振られたから面食らうようでは、この長の側近は務まらない。

ナガレはスッと進み出た。

「かしこまりました。まず…初めの刺客は、直接この家に侵入してきました。どのように入って来たのかは、はっきりとしていません。二 人組の男でした。彼
らは生かしたまま、ダンボールに詰め、食肉用のレッテルを張って路地裏に放置しました。

二度目の刺客は、南とセントラルのCCUで襲ってきました。彼の持っていた武器が普通の拳銃とは異なったものだったので、刺客につい て詳しく調べまし
た。

結果、その刺客は十年前に死亡していることが判明。

この二度の刺客の黒幕が同じなのではないかと思い、初めの刺客を連れ戻して尋問したところ、TTOという言葉が出てきたので、南地区 情報管理課の
CPUを操作して情報を得るまでに至りました」

「…そこにたまたまおれが転がり込んできたから、少し操作の手間が省けたわけだ」

かなり簡略化した説明でも、ユンは理解できたらしい。

納得したようにふんふんと頷いている。

それに対し茘枝の目は白黒しているから、分かるようで分かっていないのかもしれない。

「…分かったことは、それだけ??」

ハクアが問いに、ユンの口元が思わせぶりに笑んだ。

「まあ、確実に正しいと言えるのはここまでだけど、おれの推測を混ぜるともう少し話を進めることはできる」

それを聞くと、ハクアはパンッと手を打った。

「よしっ、じゃあ会議だ!!ナガレ、ユンと茘枝の分の椅子を」

「只今」

「あ…待った!!」

部屋を出て行きかけたナガレの足を、ユンの緊迫した声が止めた。

何事かと振り返る。

「こいつの…茘枝の機械能力も借りたりして、TTOについて調べるため、南区の極秘情報を漁ったんだ。でもやっぱりセキュリティーシ ステムが半端じゃな
くて、こっちの存在に気付かれたと思う。このコンピューター、一刻も早く処分した方がいいかも」

「…ユンくん」

ナガレは、ユンの前に立って一瞬不敵な微笑を浮かべ、すぐに真顔に戻った。

「そういうことは、すぐに言いなさい」

「…あぁ…悪かったよ」

「…ハクア様、どういたしましょうか」

「早く処分した方がいいなら…あの子に頼むしかないねっ」

「レイナさん…ですか??」

「レイナ??」

誰だよ、と、ユンは眉を顰める。

「月夜の空を思わせる藍色の瞳、透き通るような白い肌、揺れる亜麻色のポニーテール……」

「…おい側近、この長は、なんの話をしているんだ…??」

「レイナさんの描写」

ユンの問いに苦笑して答え、妄想に浸っている長に「連絡を入れてきます」と断って部屋を出る。

……と。

「…待ってください…!!」

急に背後から呼び止められ、振り返る。

茘枝がパタパタと追いついてきて、ずり落ちた眼鏡を押し上げ、息を切らし…

「僕も…僕も一緒に行っていいですか!?」

「…え…??」

「レイナさん…って人に、連絡を入れに行くんですよね??僕も行きます!!」

「ああ…うん…いや、べつにいいけど……」

困惑、それに対する焦燥。久しぶりに味わう感覚だった。

目の前の少年の心が、読めない。

何を考えているのか、分からない。

恐怖さえ感じた。

完璧な人間なんていない。それは分かっている。

けれど、以前はこんな小さな困惑から焦りが生まれただろうか。

ハクアがユンに祖先の説明をしていたとき、茘枝が聞いていることに気付けなかった。外部に漏れてはいけない情報を主人が口にしていた のに、周囲に神経
を研ぎすませていなかった。

何か、おかしい。自分のどこかが、狂ってきている。

…否。

原因は、茘枝かもしれない。

自分が狂っているのではなく、茘枝というこのあどけなさの残る少年が、異例の危険人物だとしたら。

気配を消して聞き耳を立て、人の心の隙をついて追い込み、まるで無知無力な子供のように振る舞う。

「…それって、何なんだ…??」

「え??何か言いました…??」

茘枝の漆黒の瞳が見上げてくる。

「あ、いや。なんでもない。…行こうか」

「はいっ!!」 

これから何かが始まる。

そんな予感が、ナガレの脳裏をよぎった。






+つづく+



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