第伍章

Chapter



「……おかしいよな」

ナガレと茘枝が出て行ってから数分。

ふとユンは、二体の人形の髪を弄んでいるハクアに声をかけた。

「おかしい??おれっちのこの行動が??」

「…まあ、それもある」

「ひどいなあ。女の子の髪はデリケートだから、ちゃんと梳いてあ
げなきゃダメなんだよ」

「女の髪のことなんか知るかよ。お前が今梳いてるのは人形の髪だろ」

「この子たちはおれっちの妹なの」

「お前の家系は人形だったのか」

「ねえ、知ってる??人形って、“人の形”って書くんだよ。おれっちのどこが人の形に見えないの」

意味不明だ。

こっちは真面目に話をしようとしているのに。

「あのなあ、おれはあんたと、人形の話をしたいんじゃない」

「ああ、そうなの」

「……簡単すぎないか」

「人形の話が??」

「本気で聞け。簡単すぎるだろ。こんなにも容易に、南地区の情報が得られるなんて、おかしい」

茘枝はコンピューターに詳しかった。

ユンの知っているパスワードやらユーザーやらを少し教えるだけで、それほど手こずることもなく相手のセキュリティシステムをかいく ぐった。

「いくら情報管理課とはいえ、あのけちょんけちょんのチビがあそこまで簡単に…」

できるはずがなかった。あり得ないはずだったのだ。

でも、現実は違った。

…だとしたら。

「なぜこんなにスムーズに事が進むのか。おれが考えられる可能性は、二つだ」

ハクアは顔を伏せ、人形の髪を梳き続けている。

けれど自分の話をしっかり聞いていることを、ユンは分かっていた

「一つ目。この情報は、全て罠であるということ。南地区はこっちが探っていることを知っていてわざと、嘘の情報を開示している…のか も」

「……それで??」

「二つ目は…茘枝が南とつながっていた時期があるという可能性。それも、南地区の末端組織ではなく、かなり深いところで」

ハクアの手が止まった。

「どちらかというと、後者の方がありがたい。いざとなれば茘枝を始末すればいいから。前者だとしたら…ややこしい」

「何故??」

「こっちが探っていることを相手が知っているということは、誰か分からないけれど、今現在南地区と精通しているヤツがいるってことだ から」

「……ねえ」

冷たい。

部屋の温度が急激に下がるような、冷めた声音。

「わかってる??きみ、疑われるもとになるような発言をしちゃったんだけど」

「…おれが南地区に情報を流しているんじゃないかって、そう疑っているわけか」

「勿論。だって、寺本にそんな勇気があるように見えないし」

「……人は見かけによらないぜ。今の時代、か弱く見える子供だって、凶器を懐に隠していることがある」

「そのか弱い子供に凶器を持たせ、そそのかしているヤツがいるのかもしれないけどね」

「…それはおれのことかよ」

そこまで疑われているなんて。

仕方ないといえば仕方ないのだろう。茘枝が南に情報を流しているというより、もともと南地区の者だったユンが流していると考える方 が、自然なのだから。

「…でもまあ、調べてみる価値はあるかな」

ハクアがいかにも億劫そうに腰を上げる。

「茘枝のこと調べてみて、ユン」

「おれかよ」

「そうだよ??だって、ユン以外に誰がやるの、その仕事」

「あんたが自分でやればいい」

「分かってないなあ」

人形でヒュンヒュンと空気を叩くハクアの声のトーンが、少しだが確実に、上がった。

「例えばユン、君がライオンだとしよう」

ライオン。聞いた事はあるけれど、この世界で見たことはない。

知っていることといえば、肉を喰う動物、それくらいだ。

そういえばさっき、ナガレもわけの分からない比喩で使っていたな、と漠然と思い出す。

「ライオン、分かる??つまりきみは、動物界の頂点ともいえる場所に立っているわけだよ」

「それはどうも」

「ある日いきなり、きみは目玉焼きが食べたくなる」

「ライオンなのに」

「ライオンだからだよ。目玉焼きを食べたいのに、ライオンだからつくれない」

「ライオンは目玉焼きをつくれないのか??」

「そうだよ。だってまず、火を熾せないんだから。食べたくて、食べなきゃ死んじゃうってなったら、どうする??」

「いや、そもそもライオンだったら、目玉焼きを食べたい状況にならない」

「仮定の話」

「作るのが面倒だ。でも食べないで死ぬのも情けないから、目玉焼きを作れる動物に、作れって命令するだろうな」

「そう!!それ!!」

人形の頭がぶんぶんと振られる。

本物の人間だったら脳が揺れて、確実に失神ものだ。

「それと同じ原理なんだよ。欲しくても自分で得られないものは、他人に頼むしかないんだ。ましてや命に関わる事ならね」

つまりこの状況だと、自分がライオンだと言いたいのだろう。

「あ、ちなみにね、目玉焼きはサニーサイドアップの半熟が好みだけどね」

「普通に片面焼きって言ったらどうだ」

「ちなみにね、炒り卵よりスクランブルエッグの方が好き」

「ちなみすぎだ」

呆れに呆れ、抗うように首を横に振ったとき、背後で扉が開いた。

「失礼します。ハクア様、コンピューターはタワーまで持ってきて欲しいそうです。そちらの方が作業は早いからと、レイナさんが」

「ん、了解。じゃあユン、コンピューターとキーボード持って」

「…は、なんでおれが」

「おれっちはライオン、きみは…まあなんでもいいけど、とりあえず持たなければいけない。今はそういう状況なんだ」

かなりの無理がある。



セントラルタワーのフロントは、改札機のような機械がその空間の
四分の一を占めている。

タワー内部に入る者はその機械にICカードをかざすか、受け付けスペースにいるお姉さんに声をかける。

無論、女の子好きのハクアはいつもお姉さんに声をかける方を選ぶ

「やあ、マリちゃん」

「まあ、ハクア様。ICカードはお持ちですね??」

「はあい、どうぞ」

ハクアから渡されたカードを、マリはコンピューターに繋げたカードリーダーに通す。

「……確認終了です。はい、カードをお返ししますね。…あ、ナガレさんは…」

「こんにちは、マリさん」

マリに視線を向けられ、ナガレはにっこり微笑む。

「いつも通り、顔パスで」

「かしこまりました」

「…なんでそれで通るんだよ…」

ユンが、抱えているコンピューターを持ち直しながら呟いた。

「おれのカードは、生まれたとき、どこかで手続きミスがあったらしくて、機械が受け入れないんだ。持ってないわけじゃないんだけど」

言いながらまるで手品のようにカードを取り出し、ユンの持つコンピューターの上に乗せる。

「ほら、ね。ああ、そうだ。どうせ使えないカードだし、記念にあげるよ」

「なんの記念だよ。それよりこれ…重いんだけど」

「根性なし」

ナガレは片手でコンピューターを持ち上げ、もう片方の手でユンの胸ポケットにカードを滑り込ませる。

「わあ…」

ユンの背後で、茘枝が感嘆の声を上げた。

「ナガレさん!!どうやったらそんな重いものが片手で持てるんですか!!」

「どうやったらって…鍛え方の差だね」

「馬鹿力…」

「何か言った??ユンくん」

「怪力男」

「ユン・リン」

フルネームで呼んだのはナガレではなく、ずっとマリと話し込んでいたハクアだった。

「きみも通っていいってさ。おれっちとマリちゃんに感謝しなさぁい。茘枝とあっちの機械を通って」

「は??」

「マリちゃんの前を通っていいのは、おれっちとナガレだけだから

「おれ、セントラルのICカード持ってないけど」

「南地区のICカードだったら持ってるわけ??ほら、さっさと茘枝とあっち行って」

追い払われ、仕方なく機械の方まで歩く。

「茘枝」

「うん??」

「こういう場合、どうしたらいいんだよ」

「…さあ…」

機械を睨んでみるが、それではどうにもならない

ハクアとナガレは既に、こちらに背を向けて歩き出している。

カツカツとハイヒールの音を立てて歩いてきた女が、「避けて。邪魔よ」と言いながらユンを押しのけた。

彼女が、カードをかざす。

《カクニンシマシタ》

機械が喋って、両側へゲートが開く。

《カクニンシマシタ》

《カクニンシマシタ》

右でも左でも、同じように次々と人が通り、機械の声が重なって聞こえる。

《カクニンシマシタ》

《カクニンシマシタ》

「そんなに確認しまくってどうすんだよ…」

「この機械は瞬時に、ゲートに立った人と通されたICカードの持ち主が同じかどうかを判断するんだ。ほら、通る人を見て。みんなカー ドを通すときに、機
械のある一部に触れてるでしょ??」

確かに言われてみれば、カードを通すとき、カード挿入口の横をすっとなぞっている。

「あれで、DNAとかがわかっちゃうんだよ。すごすぎだよね」

「どういう内部構造になっているんだか」

「さあ…それは僕にもわからないけど。…今はとにかく、ハクア様を追わなきゃ」

「おい待て、おれはどうすんだよ」

「えー、じゃあ、とりあえず僕の後ろにぴったりついてきてみて」

「了解」

こいつの言うことをきくなんて、初めてだな。

溜め息をついて腕を組むと、ポケットに入ったナガレのカードに触れた。

取り出し、指で弾く。

「いらねえよ、こんなもん」

呟き、ICカードを通す茘枝の後ろにつく。

《カクニンシマシタ》

ゲートが開き、すぐに閉じそうになる。

咄嗟に、手を伸ばしていた。



《カクニンシマシタ》



背後で、機械が発する。



《カクニンシマシタ》

《カクニンシマシタ》



振り返ると、人が忙(せわ)しなく通っている。

二人が通ったゲートもまた、他の者のカードによって開かれ、人間が通り、閉まる。

手の中にある光るカードを、ユンはまじまじと見つめた。

「ユン、早く!!」

茘枝の急かす声は、機械音ではなく、耳に心地よい。

一瞬心の中に広がった疑問と不安を追い払い、ユンは走り出す。



シュルッ。

小気味よい音を立て、ネクタイがほどける。

今日も生き延びられたんだ、と実感できるこの瞬間が、ナガレは好きだった。

「お仕事お疲れ、ナガレ」

振り返ると、部屋の入り口からハクアが覗いていた。

「なんだ、ノックくらいしろよ」

「へへっ、ナガレの着替えを覗けるのは、おれっちの特権」

「変態。最悪の趣味だよ」

言った言葉ほど、実は気にしていないが。

それよりも今は、昼間セントラルタワーの一室を借りて行った会議の内容が、気にかかっている。

それは会議というよりむしろ、ユンとハクアの会話を茘枝とナガレが聞いていたという関係に近いが。



「南地区では、情報操作が行われていると思う」

ユンが机に両肘をつき、指を組んで言った。

「おれが思うに、死人をコピーして蘇らせるなんて不気味な事をしているのは、南の長じゃない」

「どういうこと??」

問うたのはハクアだ。

「命令しているのは、長かもしれない。でも、実行しているのは違うと思う。…長の弟が、技術者なんだ」

空気が、揺れる。

「人伝に聞いただけだが、多分真実だ。いいか、南の長は…あいつは、あんたを狙っている」

「おれっちを、ね。まあ刺客を送ってくるくらいだから、そうなんだろうけど。問題は、その理由だよ」

「おそらく…環境と技術、だな。あんたたちも自覚しているだろ。この地区は、いろいろな意味で先進地域だ。科学技術、機械技術、環境 調整システムが一番
効率よく働いているのもここ、セントラル。その長であるあんたを殺して、地区全体を配下に入れようとしているんだろう。

…おれがこの地区に逃げてきた理由、覚えているか」

「人を殺せと言われたから、だよね」

「そうだ。殺すはずだった相手が…あんただ」

「……なるほどねぇ」

「南の長…本名は清水雅人。弟の方は、清水一哉だ。奴らは兄弟で組んで、この地区を占領しようと企んでいる。ただ、あまりセントラル 占領プロジェクトに
有能な人材をかけると、万が一のことがあったときに損失がでかすぎると考えた。南地区は人口が多い故に死人も多い。だから、死人を利 用したんだ」

「おぞましいね」

沈黙が、時を刻む。

その場にいる誰もが、考えに浸っていた。

「…そういえば…」

沈黙を破ったハクアの声に、他の三人は耳を傾ける。

「南地区で、新たな武器の開発があるって話とか…聞いた事ない??」

「新たな武器??武器の開発はしょっちゅうだけど……あんたの言ってる武器って、具体的には??」

ハクアが目で合図をしてきて、ナガレは迷わず口を開く。

「例えば、光線によって人を傷つける銃…とか」

「…光線??そんなのありえないだろ」

あっさりとした否定が返ってきた。

ではあれは、南地区で開発されたものではなかったということだろうか。

「…いや、待て」

ユンの目が細められ、次の瞬間にはハッと見開かれる。

「それってもしかして、“光線に見えただけ”じゃないのか」

「は??」

「長の護衛隊に所属していたとき、薦められた自動式拳銃の中に、そんな事例があった気がする。数年前に開発されたばかりで、まだあま り流通していないみ
たいだけど。フルオートマティックを改造したものだと聞いた」

「改造??どんなふうに」

ハクアが身を乗り出した。

「口径にもよるが、大抵の自動式拳銃は回転式に比べて装弾数が多い。八発前後から多くて十九発以上。弾倉を銃把よりも伸ばすことで、 装弾数を増やしてい
る。

ところが新しく開発されたオートマティックは、弾丸そのものをアトレベルまで小型化し、それを数百発、多くて数千発詰めることが可能 らしい。それを、
フルオートマティックを改造した拳銃のマガジンに詰め、バレルを通して発射させる。その発射された超小型銃弾が僅かな光に反射して光 線に見える事もある
と……」

「だけど普通に考えたら、そんな超小型だと撃った瞬間に一個一個が孤立してしまって、標的への命中率と殺傷率も下がるんじゃ……

「それが、違う。その銃弾の一つ一つに細工がしてあって、直線前方にしか飛ばない。軌道を外れる確率は、0.02%以下」

銃弾の一つ一つに細工が??

ナガレは考える。

けれどそれなら、かなり大きなコストがかかっているのではないだろうか。

なんのためにわざわざ、そんな費用のかかることを……

「要はイメージだろ」

まるでナガレの思考を読み取ったかのように、ユンが見据えてきた

「自分たちがそれほどまで技術を発達させてきたことを見せ、怯えさせたかった。そんなとこだろう。…言っておくけど、さっきの情報操 作のこととか、刺客
を送ってきた目的とか、今の、拳銃の製造理由とかは、あくまでも俺の憶測だ」

「ふうん」

鼻から溜め息を吐き出すハクア。

「その憶測が正しいという自信は??」

「…さあ。ないこともない」

「あのー……」

曖昧な声が、いきなり割り込んだ。

「なんだよ、茘枝」

茘枝の目は、どこか遠くを見ている。

「おい、大丈夫か」

「えっと…話がみえなくて…」

「は??話は見るもんじゃなくて聞くもんだぜ」

「さっきの銃の…アトレベルとかフルオートマティックとかマガジンとかバレルとか…横文字ばっかりで…」

ハクアの呆れ。

ナガレの苦笑。

ユンの疲労。

これらを全て含んだ複雑な空気が、部屋を満たした。

「…誰が解説しますか、ハクア様」

「そりゃユンでしょ」

「おれは喋り疲れた」

仕方なくナガレは茘枝の横に立ち、こほんと咳払いする。

「アトレベルのアトは、接頭辞の一つ。センチ、ミリ、マイクロ、ナノ、ピコ、フェムトに継ぐ単位。ちなみにアトからは、ゼプト、ヨク トと続く。アトを十
進数で言って欲しい??」

「あ…はあ」

「0.000000000000000001。以上、アトの解説。

フルオートマティックっていうのは、別名、全自動式オートマティック。引き金を引いている間に弾が連続して発射されるから、連発式と もいうね。ちなみ
にその発射間隔を連射速度、サイクルっていう。

マガジンは弾倉、バレルは銃身。これらについての説明は??」

「あ…はああ」

「弾倉は銃の中に銃弾を収める部品。一般的に箱状で、交換が可能だ。この交換動作のことをリロードということがある。銃身は、発射さ れた銃弾が通るとこ
ろ。予備知識も付け加えてあげたけど、お分かりになられました??」

「あ…はあぁ………あ??」

「絶対分かってねえよ、こいつ」

「わかった」

こう答えたのは茘枝ではない。

ハクアがいきなり立ち上がった。

「もう、埒が開かない。こんな詮索ばっかりしてまた相手が何か仕掛けてくるのを待つなんて、危険にも程がある。こっちから行こう

「…ハクア様、それはつまり……」

「うん、きっときみの思っている通りだよ、ナガレ」

もったいぶって、大きく息を吸う。

「こっちから、清水兄弟のところに乗り込んでやるんだ」

「……」

「……」

「……」

「なんだよみんな、反応薄いなあ。何か感想はないの、ユン」

「あー…それって、いつ??」

「何が??」

「だから、いつ乗り込むんだよ」

「え、決まってるじゃない」

決まっているのか。

「明日」

突拍子もないことを言うのがこの長の特徴だったが、さすがのナガレもこれには小さく目を見開いた。

「ですがハクア様…清水と会って、何を…」

「ナガレ、馬鹿になっちゃったの??これ以上喧嘩を売るなって言うんだよ」

「…もしかして…極秘任務…ですかっ??」

「その通りだよ、寺本茘枝くん。これは、ここの四人以外、誰も知ってはいけないことだ。セントラルの住民達に知れたら、きっと混乱が 起きる」

「…ハクア様、レイナさんは…」

「あの子にも内緒」

「はあ……」

「ってことで、明日出発!!いいね??」



このいきなりの出発宣言が、ナガレの脳裏にひっかかっていた。

ハクアは確かに、無鉄砲なところはある。

でもいざという状況のときは、これ以上ないくらいに慎重にだってなるのだ。

命が狙われているということを考慮したとしても、慌てすぎではないのか。

「ハクア、お前はなにをそんなに焦ってるんだよ」

単刀直入に、尋ねてみる。

「だって、おれっちの命が危ないんだよ??焦ったって当たり前でしょぉ」

「…違うな、それだけじゃない」

「どうしてそう思う??」

「だって…ハクアは昔から、嘘をつくとクルルとクリリの頭をこすり合わせる癖がある」

「…え??」

「あー、もう、ほらこんなに脱毛しちゃって。妹なんだから、禿げさせないであげたら」

カーペットの上に落ちた人形の金髪を拾う。

「どうする、この髪。接着剤でくっつけようか??」

「もぉナガレ、妙なこと言わないでよ。妹の頭に接着剤なんて塗れるわけないでしょぉ」

「ハイハイ」

部屋の隅まで歩いて行き、ゴミ箱に髪を捨てる。

振り返って、腕を組んだ。

「それで??」

「ん??」

「それで、どうしてそんなに先を急ぐんだよって」

「……作戦」

「は??」

「ほんとは、今日すぐにでも行きたかったんだ。でも、さすがにそれだと準備が間に合わないからさ」

「ちょっと待って。準備とか作戦とか、何の話??」

ハクアが右手にクリリを持ったまま手招きをしてきた。

その動作に誘われるように近づく。

「いい??準備っていうのは、パスポートの、だよ」

「パスポート??…CCUのか」

「うん。おれっちとナガレは自由通過用のを持ってるし、ユンも清水兄のパスを奪って持ってるでしょ??だけど茘枝は持ってない。だか ら今、つくってると
こなんだ」

それならなおさら、明日出発できないのではないだろうか。パスポートはつくるのに時間がかかる。

出来上がるのを待っていたら、一週間は出発できない。

「一日通行券なんだ。まあ、仮発行みたいなもん。それだと、数時間で出来上がるんだよ」

「そんなシステム、あったっけ??」

「ないよ」

あっさり言うなよ。

ナガレが突っ込もうとしたが、ハクアは話を止めない。

「おれっちを誰だと思ってるのさぁ。いっつもレイナちゃんに急を要する仕事を頼んでいるのは、面倒だから。おれっちの仕事能力をそん なに疑ってるわ
けー??」

「もちろん」

「あのねぇ、言ったでしょ、これは極秘任務なの。パスも自分たちでつくるしかないのね。誰にもバレないように数時間でパスをつくるこ とくらい長ができな
くて、どうするのさぁ。でもさすがに長期間使えるようにするのはたった数時間じゃ無理だし、茘枝用のパスなら長期間のをつくる必要も ないでしょ」

「なるほどね」

準備の意味は分かった。

けれど、作戦とは…

「ここでナガレに、ちょっと頼みがあるんだぁ」

「頼み??」

「うん、あのね、今夜はユンと一緒にいてほしいの」

「ユンと…」

「おれっちは、茘枝と一緒にいる」

「…なんのために」

「二人が妙な行動をしないか見るんだ。情報を漏らさないかね。もし二人のどちらかでも南側の人間だったら、今おれっちたちがここで話 している間にも、情
報が相手に流れている可能性がある。だから、パスの準備さえなければすぐに出発したかったんだ」

「情報を漏らす間もなく押し掛ける…ってことか。だけど今の言い方だと、二人を疑っているように聞こえたけど。つまり…南側の人間 だったユンだけじゃな
くて…寺本茘枝も」

「うん、彼が怪しいって、ユンが言ってた」

「ユンが??」

「普段はあんなにお馬鹿さんなのに、やけにあっさり南の情報を得ちゃったからだって」

確かに、茘枝は怪しいかもしれない。事実、今日ナガレ自身も、そう思ったばかりだ。

けれど可能性としては、ユンが黒だという事も考えられる。

わざと茘枝を疑わせ、自分が味方だと思わせたいということも……

しかしナガレは、ハクアにその可能性は言わなかった。

ハクアはきっと言わずとも気付いているだろうし、気付いていないとしたらそれほど切羽詰まっているということ。いずれにしても、今言 わなければならな
いことではない。

「…わかった。じゃあユンの部屋に行くよ。もし寺本茘枝が危ない行動を起こしそうになったら、すぐに呼ぶこと」

「わかってるって。こっちは、茘枝をおれっちの部屋に連れて来るから」

「了解。じゃあ…おやすみ」

「ん、おやすみ」





「あ??なんでおれがあんたと同じ部屋で寝なきゃなんないんだよ


ナガレは、ユンがこう抗議してくることを予測済みだった。

「なんでって、お前が寂しがるんじゃないかと思って」

「あー、そうですか、それはありがとうございます。だけどな、おれは全く寂しくなんかない」

「そう??ホームシックになっちゃう時期かなって」

「あのなぁ…」

続けて文句を言おうとしたユンの口が、はっとつぐまれた。

ナガレがベッドに座るユンの正面に立ち、次の瞬間、ベッドに片膝を乗せて、ユンを押し倒したのだ。

「おい、ちょっと…」

「ふふん、焦っちゃって。初々しいね」

「待てって、あんた!!そういう趣味だったのかよ…!!ちょ…やめろったら!!」

暴れるユンの動きを膝で封じ、長い指ですっと輪郭をなぞり、そのまま首筋を撫でる。

「ユン、彼女いたこと、ある??」

「ねぇよ…!!…だから、やめ…」

首に這わせていた手で、ユンの口を塞ぐ。

「静かに。人が来ちゃうだろ」

「…本気かよ、お前…」

ナガレの手を押しのけて呻くユンは、耳まで真っ赤だ。

「…なぁ、お互い、落ち着こうぜ…。いいか、まず、お前はベッドから降りる。な??…んでもって、二人とも椅子に座るわけだ。それ で…」

「それで??」

「それで……」

「ほら、言ってみな」

絶対に今のユンには恐怖を与えるであろうと確信できる微笑を浮かべる。

思惑通り、ユンの瞳には妖艶に映ったようだ。

「いや、だから…!!」

脇腹を撫でてやると、泣きそうな表情で腕を抑えてきた。

「だから、まずいって…!!落ち着け、な??いくらおれが魅力的だからって、おれ、同性に興味は…」

「愛してるんだ」

耳元に顔を寄せて、囁く。

唇の先を僅かに、獲物の耳に触れさせて。

「…は??」

「おれは、愛してるんだよ、ユン。きみがおれに興味がなかったとしても」

「…病気だぜ…あんた…」

「恋の病だね」

くすり、と笑ってみた。

「やめろよ…!!ほんとに、やめてくれって!!あんたが言うと冗談に聞こえないんだよ…!!」

「冗談じゃないから、でしょ??」

「あ…のな…」

潤んだ瞳で見上げてくるものだからとうとうナガレも耐えきれなくなって、顔をそらせ、思い切り吹き出した。

ベッドの隅に腰掛け、腹を抱えて笑う。

「いや、ユン、き、きみ、最高だよ…っ!!やばい…おかしい!!

「え、だってあんた…あんた…嘘だ、今の全部、演技だったのか!?」

「なにっ、本当に信じ込んじゃったわけ!?」

狼狽するユンがおかしくて、さらに笑う。

最初はユンを牽制するためだった。

多少の恐怖を与えれば、ユンが敵だとしたら、動きづらくなるだろう、そう考えただけだったのだ。

やっと笑いを鎮め、尋ねる。

「ドキドキしちゃった??」

「寿命が縮んだ」

「女達に言ってあげたらすっごく喜ぶ台詞ばっかりだったのに」

「…女達って…そんなに何人も口説いた事があるのか!?」

「仕事上ね。本気で口説いた事はないよ??」

「あんたに口説かれたら、誰でもオちそうだな」

「上手くやればね」

「…あんたって、信じられないくらい完璧な人間だな」

ユンのその声音には、僅かな怯えが滲んでいた。

例えおふざけでも、襲われたのがそんなに恐ろしかったのだろうか

「ごめんって、もう絶対しないから。ほら、寝るよ。ユンはベッドを使うといい。おれはソファで十分だからさ。はい、おやすみー」

不信そうな視線を感じながら、電気を消した。

「…結局なんで、あんたがこの部屋で寝るんだよ」

小さな呟きが、暗闇を漂う。



重さ重視か、威力重視か…

…重さだろうな。

ナガレは両手に一つずつ持った拳銃を比べ、右手に持っていた方を茘枝に差し出した。

「はい、これ。持っていた方がいい。何が起こるか分からないしね

「でも…僕、使ったことが…」

「簡単だよ、ほら」

左手に持っていた拳銃を自分のポケットに突っ込み、茘枝の右手に回転式拳銃を握らせる。

「いい??グリップをこう握るように持つ。で…人差し指をトリガーにかけて…そう」

背後に回って、右腕をまっすぐ上げさせる。

「弾丸を装填したら、ここの…そう、それ、その撃鉄を引き起こす。この操作を忘れたら駄目だよ。これで引き金を引いたら、発射される から。ね、簡単簡
単。…試しに、撃ってみたら??」

「あのー、ナガレ先生ー」

正面の椅子に座っていたユンが、小さく手を挙げる。

「さっきからですねー、銃口がこっちに向いてるんですけどー」

「いい??標的から目を反らしちゃダメだよ、茘枝。慣れてないから、右腕をこう…左手で支えても大丈夫だから」

「無視ですか。殺す気ですか」

「よし、撃ってみよう」

「聞けよ!!」

ユンが慌てて床に伏せると同時にパンッと鋭い音がして、彼の座っていた椅子に詰まっていた羽が、宙に舞った。

「ほら、撃てた撃てた」

「本気で撃つなよ!!」

「大丈夫、ユンなら避けれると思ってた」

ナガレは、銃口から細く上がる煙を感動したように見つめている茘枝の頭を、ぽんっと撫でる。

「自分の身を自分で守らなきゃいけない状況になるかもしれないからね。しっかり覚えておくんだよ」

「…はいっ!!」

茘枝の返事と同時に、ハクアが入ってくる。

「…なにしてんの」

床に這いつくばったユンを見て、目を細めた。

「掃除してやってたんだよ」

渋い顔をして、ユンは起き上がる。

「はい、茘枝くんにプレゼントなりー」

真新しいCCUの通行カードが、ハクアから茘枝の手へ渡った。

「なくしちゃダメだよ??」

「ありがとうございます!!」

「それからみんな、まだ早朝だから、この家から出たらCCUに入るまで喋らないこと。地域の平穏を乱したくないからね」

「はいっ」

「分かりました」

「ん」

それぞれの答えに、ハクアは深く頷く。

「それじゃあ、最終確認。全員、護身用の武器はある??」

沈黙が示す、肯定。

「CCUの通行カード」

沈黙。

「パジャマの人は…いないね。よし、オッケー!!最後に、質問のある人は??」

「…あのー…」

茘枝が、恐る恐る尋ねた。

「ナガレさんはハクア様の護衛で、ユンは案内人で…僕は、南地区に行ったら、何をすればいいんですか…??」

「頭脳が必要な状況になったら働いてもらうけど、それ以外の主な役割は、足手まといにならないことかな」

「わかりましたっ」

「他に質問は??」

三人をぐるりと眺め回した末。

「それじゃあ…行くよ。…全員、口にチャック!!」



早朝のセントラルタウンは、不気味なほど静かだ。

いつもは物騒なほど賑わっている商店街にも、人影はない。

先頭はハクアとユンが並び、そのすぐ後ろをナガレと茘枝が歩く。

久しぶりの重い任務に、ナガレは小さく深呼吸する。CCUまでの道のりが、やけに長く感じられた。

南地区へ繋がるCCUの入り口で、ハクアは立ち止まった。

その背には、緊張がある。

ゆっくりと、自分のカードをカードリーダーに通す。

重い扉が、開いた。

【行くよ】

口の動きだけで、仲間達に伝える。

長に続き、残りの三人も次々とカードを通し、CCUに踏み込む。

バタン。

背後で扉が閉まったとき、ユンがふっと息を吐いた。

「これから、だな」

「そうだね」

小さく返すハクア。

「修羅場への入り口は、もう見えているぞ」

長いユンの手が、前方を示した。

すぐそこに、南地区の入り口であり、出口である扉がある。

「…よしっ」

ハクアが決心したように一歩踏み出した…

刹那。





南地区の扉が、向こうから、開いた。





「え!?」

誰かが、声を上げる。

小さな舌打ちも聞こえた。

「誰か…来る…」

震える茘枝の声に我に返り、ナガレはサッと、ハクアを背後に庇った。

同時にユンも、茘枝の前に立つ。

そして、呟く。

「…清水だ」

先頭に立って近づいてくるのは、大柄な男。

背はナガレよりさらに頭一つ分以上大きい。

鋭く、細い目に団子鼻。油っぽい黒髪、同じ色の無精髭。

ごつごつとした手に握られた拳銃の先が、こちらを向いて光った。

彼の後ろには、十数人の武装した男達。

「…生きていたいなら、おれの後ろから離れるな、茘枝」

ユンのその言葉に、茘枝がどう返したのかは分からない。

南の長の低い声が、通路に響いた。

「どうも、セントラルの長とそのご友人。どうやらこちらに、用があるようですな」

「精通者か密告者…裏切り者が、いたってことだね」

ナガレは背後からのハクアの声を聞き、静かに、震える息を吐いた






+つづく+



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