私は願う。

私が世界中の人々の苦痛を緩和できるように。
私が世界中の人々の悲愴を受難できるように。
私が世界中の人々の諍いを媒介できるように。

私は願う。

私があなたに嫌われないように。
私があなたの役に立てるように。
私があなたの頼りになるように。
私があなたに愛されるように。

私は願う。
私は…


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15歳の冬。
私が変わったのは、たぶんこの時期だったと思う。

取り柄もなくて、趣味もなくて、退屈していて。
だから私は、ただひたすら、暇つぶしに勉強をした。
意味なんてない。
難解で解けない問題に腹がたったことだってあるけれど、
その苛立ちさえ、日常を退屈にただ過ごしている私にとっては、 新鮮。
だから勉強した。
私は頑張ったつもりはない、偉くなろうと思ったわけでも、褒められたかったわけでもない。

でも彼女達は、それをわかってはくれなかった。

私はもともと友人が多い方ではなかったけれど、それでも皆無というわけではなかった。
中学に入学してから3年間ずっと同じクラスだった二人の女の子。
二人の会話は明るくて、楽しくて、なんだか冬の陽光みたいにキラキラしていて、
私は聞いているだけ、それだけで満足だった。
それがいけなかったのかもしれない。

雪のちらついていたその日、私は彼女達に受験勉強を手伝ってほしいと頼まれ、放課後教室に残った。
その頃の私は体調を崩すことがよくあって、その時も、倦怠感と腹痛に嫌気が差していた。
それなのに、彼女達は勉強という勉強もせず、前夜のテレビドラマの話しで盛り上がっている。

「ごめん、なんか体調よくないんだ。必要ないなら私、帰るけど…

控えめに言ったつもりだった。
精一杯、もうこれ以上なんて言ったらいいのかわからなかったから
彼女達の目線が、鋭利なものへ変化した。

「なにが気にくわないの。いっつもそんな、暗くて不機嫌そうでさぁ」

「ほとんど話してくれないし」

「ってかこっちのテンションが下がるから」

「勉強だけできてりゃ偉いの??
  友達と楽しく会話することさえできないのに、勉強だけできたって意味ないじゃん」

散々だ。
私は何か悪いことをしたのだろうか。

…ああ、きっと私は暗いんだ。
どんよりしてて、ネガティブで。それが彼女達を怒らせたんだ。


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高校に入学して、私は、変わることにした。
無理にでも明るく、嫌われないように、みんなと仲良く、なれるように。


それでも最初はやっぱり、怖かった。
どこかで、あの冬の日のことを思い、傷つきたくないと心を閉ざしそうになり、慌てる。
混乱した毎日。
頭の中を整理できなくて、でもなんとか明るく振る舞おうって、それだけ考えて。

そこで、美岬に出会った。

彼女は可愛くて、明るくて、しっかり者で、
勉強はあまりできないみたいだけれど、それでもくじけずに頑張っていて。

見た瞬間に、ああ、私の理想の子だって、直感した。

「おはよっ、菜々!!」

いつも私に輝くような笑顔で、そう挨拶してくれる。
湖山美岬。

「湖山、ちょっと来て」

「ん、なにー??」

「この教科書のイラストさあ、お前に似てね??」

「えー、似てないよ!!  私こんな髪短くないしー」

「ぜってぇ似てるって!!」

「あれ、湖山、なんか顔色悪くね??」

「んー、ちょっと頭痛いだけー。全然平気っ」

「強がりすぎだって」

「強がってなんかないってば!!  ほんとに大丈夫ーっ」

こんな感じで、美岬は男子にも人気があると思う。
私がそう言うと、

「そんなことないよっ!!  人気とかじゃなくてー、ただ友達なだけ
  菜々も喋ってみなよっ!!男子も案外楽しいよ」

「んー…」

ダメ、私は美岬みたいにはなれないよ。
女子と話すのでさえ、気を使っていっぱいいっぱいなのに、男子となんて…黙り込んじゃうだけ。

それでもなんとか美岬に近づこうと思って、足掻いているうちに、高校に入って半年経った。




10月。教室の窓を開けると、トンボが入ってくるような時期。

昼休み開始のチャイムが鳴る。

「菜々はさぁ、好きな人とかいないの??」

美岬は白いプラスチックの箸で弁当の卵焼きをつついた。
突然の問いに、私は瞬きを繰り返してしまう。
美岬がコロコロと笑った。

「なんでそんな驚いてるのさぁっ」

「え…だって突然そんな…」

「菜々、私ね、高校に入ったら絶対青春してやるーって思ってたんだ。
でも、世の中やっぱり、そんなうまくはいかないねー」

弄んでいた卵を口に入れ、美岬は一人で頷く。
美岬には彼氏がいない。
私にとっては、かなり意外。

「好きな人ができてもさ、やっぱりなんかすぐ、諦めちゃったりするんだよね。
私じゃ無理だろうなぁって」

「そんなことないよっ」

私は口に含んでいた麦茶を慌てて呑み下し、否定する。

「美岬を嫌う男子なんていないって!!」

「……」

あ…
美岬がちょっと目を細めて黙り込んでしまった。
焦る。怖い。

「…ごめん…私なんか…変なこと言っちゃったかな」

謝ると…
ぱっと、美岬の表情は笑みへと変わった。

「いやいや、違うよーっ!!  そんな、謝らなくてもっ!!  ちょっと考え事しただけだよっ」

少しだけ、安心する。
でもやっぱり、不安。
美岬は内心、私のことを迷惑に思っているんじゃないのだろうか。

気付いたらそれが、口に出ていた。

「ほんと、私のこと嫌いだったら、隠さないでそう言ってね。嫌なこととかあったら、ちゃんと言ってね」

「菜々のこと嫌いになんてなるわけないじゃん!!  菜々は私の親友だからねっ」

親友。
それはすっごく嬉しくて、誇らしい言葉。
美岬はやっぱりいつも、私を癒してくれるよ。

「…てか菜々さぁ、ちょっと心配し過ぎなんじゃないのかなぁ」

美岬の箸の先では、今度はレタスが踊っていた。
言葉を選ぶように、彼女はゆっくりと話す。

「そんなに心配しなくても、私は簡単に人を嫌ったりしないし
  もっと気楽に接してくれても大丈夫なんだよ…??
  私、嫌いな人とはこう やって喋ったり、お弁当一緒に食べたりしないもん。
  だってそんなことしたって、窮屈な思いするだけでしょ??」

美岬の紡ぐ言葉は至って普通のことなのだけれど、彼女が言うことによって真実味を帯びる。
すごいなぁ… 
見とれて、聞き惚れてしまう。

「私は菜々に、もっと私のことを信じてほしいの。
 今まで敢えて聞いたことはなかったけど、菜々はきっと過去に、傷ついたことがあった んだよね。
 ちゃんと私、気付いてたよ。でも、同情で人付き合いなんて、絶対しないから。
 私は菜々と接したい時に、接したいようにするだけだもん。
 遠慮し て、顔色伺ってばっかりだったら疲れちゃうよ、きっと。
 もっと、我が儘になっていいよ、菜々は」

それは私にとって、それまで生きてきた中で最も貴重な助言であり、ふいに、気が楽になった。
やっぱり……すごいや、美岬は。

「…うん…ありがとう」

こんなありふれたお礼しか言えないけれど、この一言に、私は全ての思いを託す。
ありがとう。
心にできた深い亀裂と歪みはそう簡単に全癒するものじゃない。 
でも多かれ少なかれ、美岬の言葉によって私が救われたのは事実だから。
だから。
ありがとう。

その“ありがとう”は、確かに美岬に伝わったと思う。
本当に嬉しそうに、幸せそうに、微笑んでくれたから。


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私は願う。

いつか私が美岬を救えるように。
いつか私が美岬に頼られるように。

いつか私の心の傷が、癒えるように。


=短編小説「苦の媒体」=       



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